薬師寺とは

田宮山瑠璃光院薬師寺 真言宗豊山派 本尊薬師如来

住 職:市川いちかわ 慈寛じ か ん

名誉住職:市川いちかわ 成寛じょうかん

副住職:市川いちかわ 尚寛しょうかん

文化財:参道杉並木(牛久市指定天然記念物)

縁起・沿革

当山は、弘仁七年(816)、平安時代の名僧、徳一法師の開基にして、令和3年には1205周年を迎えた古刹と伝えられております。

戦国時代には、牛久城主・由良国繁が、この地方の戦いで滅亡した先代の城主・岡見氏の霊を弔うため建立した常陸七観音八薬師の一つとして、近隣農民たちの信仰を集めました。しかし、幕末の頃より無住となり、100年以上も荒廃しておりましたが・・・。

昭和の中頃より、不思議なご霊験が興り、正に不死鳥の羽ばたくごとく現代に甦り、復興されたお寺であり、誰云うとなく「お目覚め薬師さま」として崇められております。

あなたの心の扉が開かれ、安らいだ日々をお過ごしいただけますよう、どうぞご来山・ご参拝ください。

  • 寺内の鐘
  • 本堂
  • お墓

真言宗豊山派しんごんしゅうぶざんは概要

7世紀ごろインドで興った密教(=顕教に対して、大っぴらに広めない教えという意味)は、やがて中国に伝わり、平安時代初期の延暦23年(804)に弘法大師空海が中国へ渡ってその教えを授かり、日本へと伝えられました。

真言密教の教えを教義として、弘法大師により日本で開かれたのが真言宗です。大師が修行の場とした高野山を中心に広まった真言宗は、平安末期に根来寺(ねごろじ)に分かれ、鎌倉時代には新義真言宗の教えが成立し栄えましたが、戦国時代の勢力争いと無関係ではいられず、豊臣秀吉に全山を焼き払われて多くの僧侶が根来寺を離れました。

その後、豊臣秀長に奈良の長谷寺(山号「豊山」)に招かれた新義真言宗の専誉僧正が豊山派を興し、長谷寺は学山として繁栄しました。

江戸時代になると、五代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院が音羽(現文京区)に護国寺を建立し、豊山派の江戸の拠点としました。

現在は、全国に約3千ヵ寺、僧侶5千人、檀信徒3百万人を数えております。

梵字